家事というものについて

家事は全て外注するのが最も生産的、という結論に達しつつある。省力化という観点から、世間に普及するかなり前からルンバを使いだし、スマート家電もいろいろと試してみたが、これはどうにも手放せない、という効果を実感できていない。(玄関のスマートロック化はかなり良かった。鍵がなくても開けられる便利さ、閉め忘れがなくなる安心さ。でも現居のドアロックにはスマートロックの貼り付けスペースが無く断念。)

一時間数千円で家事代行サービスを手配し、その時間でその費用以上のパフォーマンスを出せば良いだけの話で、それくらいはできないと話にならない。

問題はプライバシーをどう守るかという部分で、見知らぬ人を家にあげるのはかなり抵抗があるので、身元のしっかりとした家政婦を雇うのもある意味合理的なのかもしれない。年収があと1000万円上がったら実行したい。

 

自分にしかできないことに自分の時間を使おう。同じ場所をぐるぐるとまわっていても日々は流れていくかもしれないが、世界を良くするための行動にはつながらない。

 

一方で、単純な家事から解放されたときに真っ先に行いたいのが料理である。今は全くできていない。これも家事なのかもしれないが、自分の中では全く違う位置づけのものである。レシピを厳密に守って作るというよりも、台所にあるもので何ができるか、というやり方の方が楽しそう。普段の仕事と、脳みその全く違う部分を使って、良い休憩になる予感がする。子供や家族、親しい人に自分の手料理を食べてもらいたい、という自分勝手な願望もそれなりにある。自分の父親は週末に何かと手料理を作ってくれる人で、大雑把な男の料理なのだが、(ラーメンとか、チャーハンとかさ。)繊細な母親の料理とはまた違った良さがあって好きだった。

 

雑多な家事から解放されたら、残るのは自分の頭の中の掃除である。こればかりは代行してもらうわけにもいかず、雑多なやりたいこと、やるべきことに常に頭の中は占領されているが、優先順位を間違えないように、大事なことの選択肢をできる限りすぐ取り出せるところにおいておく方策を日々考えている。