忙しいときの考え方について

現在の我がチームは、どう考えても少なすぎる人数で仕事をまわしている状況になってしまっており、好調な市況もあいまってどんどん物理的な忙しさが増してきている。チーム全体が忙しくなれば、当然部下の不満はたまり、チームの雰囲気は悪化し、生産性が落ちる悪循環。そして部下のコップからあふれ出た何かをあわてて掬うのはもちろん自分の仕事。物理的な忙しさがどんどんと増してきている。最近は〇〇さん、ちょっと折り合ってご相談が、、と声をかけられるとああまた退職の報告か、(はたまた退職の示唆とそれを梃子にした待遇改善の申し入れか)という状況になってきている。よろしくない。そんなわけで絶賛採用活動中なわけであるが、当然ながら面接をするのは私であり、それも私の時間をどんどん奪っていく。そして幸運にも採用にこぎつけたとしても、その後に教育があり、手をかけた時間以上のリターンを業務で返してくれるようになるには、どんなに少なく見積もっても半年以上は必要。そう、この先半年は今より忙しくなる未来しか見えない状況なのだ。

 

時間がない。

 

そんな時にふと考えた。私は時間を目いっぱい使って「"思考"できているのか?」と。

 

私の思考は自由だ。体がどれほど忙しくても、思考すること、その自由は誰にも奪えない。思考の密度を上げることが、限られた時間の価値をを何倍にもする唯一の方法である。何も考えていない時間はないか?意味もなくぼうっと過ごしてしまっている時間はないか?タイピングにかかる時間がもどかしいくらいのスピードで考えられているか?何かに逡巡すること、迷うこと、混乱すること、こういった感情は私の頭を思考することから遠ざける。いつもクリアーにやるべきことを整理して、思考を張り巡らすことができているだろうか?

 

意識するのとしないのとではえらい違いである。このブログもそんな超多忙の中で、自分のとりとめもない考えを整理するために始めたようなものである。

空白の時間を思考で埋めることができれば、次は思考の深さだ。どれくらい密度を濃く、深く、思考の海にダイブできるか?この点でもブログのように書いて残せるものには利点がある。

 

考えること、それこそが最も人間らしい営みであろう。思考停止は死と同義である。chat GPTでは論理的に到達できないほど広く深い場所から新しいアイデアを持ってこれるはずなのだ。人間であれば。ただ無為に息をして過ごすことが生きることではないのだ。苦しくても頭に汗をかいて思考の海に潜り、自分だけが信じられる孤独な道を通って自分だけのアイデアを探して、その価値を自分の頭で納得する営みなのだ。生きるってのは。