限られた時間をどう過ごすか、という話

人生が拡大した。自分だけのそれではなく、妻と子供も含めた家族の幸せが目的となった。

 

そんな中、自分の人生の有限性に関してかなり強く意識するようになった。いつか終わりは来る。ならばどう生きるべきか?

そんな中で、遅ればせながらDie With Zeroを読んだが、「何のために生きているのか」を真剣に考える良いきっかけになった。とかく日本人は幸せを先延ばしにする傾向があると思う。自己犠牲の精神なのか分からないが、苦しかったり、気が進まないことをする理由はただ一つ、課題を乗り越えるなり問題を解決するなりして、より楽しい時間を過ごすためだ。それがいつの間にか、苦労がルーティーンになり、週末を楽しみに平日を頑張り、週末は休息と回復、そして月曜からまた頑張る、、などというサイクルになるのは本末転倒。

 

苦労は良いが、その成果として、いつ楽しみ、幸せを感じるのだ?

 

このことを改めて真剣に考える良い機会になった。

 

また、堀江貴文さんの「多動力」も先ほど買って読んだ。(この手の「誰かの"生き方"を書いた」本はkindleでサクッと一時間程度で読めるし、日々の良い刺激になるので定期的に購入している。)突き詰めれば、「自分が楽しくないことには一秒たりとも時間を使わない生き方」の話であり、それなりに共感できるものであった。しかし、現実として彼が「ワクワクしないからやらないよ」と言っている数多のことを行なっている大多数の人がいるから世の中は回っているわけではあり、その辺りは最終的には人生に対してどれくらいのリスク許容度があるのか、という話になることだなあ、とか考えながら読んでいた。ふと考えると、「リスクを取れ!」という本は数多あるが、「リスクを取るな!」という本は本当に少ない。それくらい人間はリスクを取らない生き物なのだろう。もしくはリスクを取る生き方をさせる過程で、自分の商売に誘導して儲けようという輩が後を絶たないのであろう。

 

では自分はどうするのか、というところではあるが、まずは少なくとも自分の"資産"になることに日々の時間を使って行こう、と思う。自分にとっては特に学びがなくなったルーティーンはできる限り部下に権限移譲し、新しいことにチャレンジをし、学び続ける。インプットとアウトプットのバランスをしっかりと考えて行動する、など。そして自分にとって楽しい時間をできる限り増やすこと。家族と遊ぶ時間や、友人ととりとめのない話をする時間、そして自分が没頭できる趣味に使う時間。言葉にするとまあそうだよね、という内容だが、特に仕事が忙しいと忘れがちである。それほど習慣が持つ力は強大であり、思考停止は死と同義である。自分の人生を環境に明け渡すことになるのだから。

 

それにしても自分の人生はなんと自由なことか。明日はまだ何も決まっていないのだから。